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全ては神の御心のままに fiat voluntas tua, sicut in caelo, et in terra.
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人体の不思議展
2008.11.23 Sunday
yo-koさんと川崎の『人体の不思議展』に行ってきたのです。
機能形態学のよいお勉強になりました。 今主に脳の名前を覚えている最中なので、 「あー、橋ってマジで膨らんでるわ…」とか「この小脳と繋がってる塊は線条体?大脳基底核といったほうがいいのか?よくわからん」とか、場所の確認になった。 次は生きてるものを見たいくらいだ。 特に、三ヶ月の胎児の標本が…猛烈にかわいかったの… 四ヶ月になると「ぼく、人間の赤ちゃんなの♪」アピールが始まってるけど、三ヶ月だとまだ「胎児なの♪」って感じで、めちゃキュート。それでもしっかりと足の指やら出来上がっている部分もあるんだよ。 模型がほしいなぁ。 でも実は疲れすぎてて、yo-koには悪いことをしました。 yo-koは来年ブラジルに4ヶ月ほど行く予定なので、もっといろいろ話を聞けばよかった。ごめんなさいyo-koさん。 彼女を別れてすぐに、頭痛いことに気づいた。かえってすぐに寝た。 もうメイクも落とさずに寝るなんて…こんなこと…生まれて初めてですよもう。 時計草
2007.05.08 Tuesday
家の近くに咲いていた時計草。パッションフラワーの呼び名の方が有名かな?
ここ数年はこの時期になると(咲いたかな…)と思って見にいくの。 某漫画を読んだ高校の頃から、 「一戸建てを買ったら、庭には時計草を絡みつかせた柵を置くんだ…」 と心に決めていました。 キリストの受難と私の大嫌いな時計が融合した花が庭にあるのは、私にとって「メメントモリ」の挨拶以上の戒め効果があるね。 一戸建ては夢のまた夢ですが、今は家の近くに、1年に一度だけ見れるこの株があるから、満足。 ちなみに、大学1年のとき、北海道のミッション高校を巡ったとき、でっかい時計草の絵を廊下に何枚も飾っている学校があって、あのときは一枚失敬したかったなぁ… 衣通姫
2006.12.14 Thursday
12月12日の「開運! なんでも鑑定団」にて、高村光雲の彫像『衣通姫』が出ていました。
社会の資料に出ていた彼の有名な作品、『老猿』が生理的にキライだった(子供ながら、不快感を感じた)だったので、『衣通姫』の繊細可憐さにびっくりしました。 ふくよかなお顔に、細かい衣のひだ。銘も清純な雰囲気で、素敵で。 (ああ、今まで猿ごときで毛嫌いしていて申し訳ありません)と心から思いました。 あの一家に対しては、『高村光太郎のポエムが受け付けない』という理由(ええと、感性豊かな妻に対するような芸術家の繊細さに、共感だの憧れだのを感じるような日本の文学青年のセンスが嫌い、とでも言おうかしら…)で、彫刻まで毛嫌いをしているのを自覚しています。反省です。 ところで古事記スキーな私は、衣通姫が登場ってだけでも大興奮だったのですが、我が母は彼女のことすら知りませんでした。 彼女とそのお兄様の木梨軽太子の道ならぬ恋は、佐保姫の道ならぬ恋話よりもよっぽどロマンチックな話で、古事記の中でもトップレベルの鮮やさを誇るお話だと個人的に思っているのですが、比較対象よりも知名度が足りないので悲しい。 (佐保姫のほうは、氷室冴子さんが小説の題材にしていたくらいなので、おそらくそちらの方が有名だろうと判断しています) せめて私の友達のあいだだけでも、PR活動をしようと決めました。 大エルミタージュ美術館展
2006.12.05 Tuesday
venom君に誘われて、大エルミタージュ美術館展に行ってきました。
先日行ったダリ展がダリ一色の濃厚な世界の展示だったのに対し、ベルギー王立美術館展が「ベルギーの歴史詰め合わせ」セット的だったのとも、ちょっと違って、テーマとか抜きにしたキレイなモノコレクション!という感じでした。 こういう展示の場合は、優雅な気分で部屋中央の椅子になんかに腰掛けながら、作品を見回す…という見方をしたいのですが、悲しいことに、混んでいる上に椅子はなかったので不可能でしたさ。 今回は、ギョーム・ヴァン・デル・ヘキト画の『ケニルワース城の廃墟』という作品がツボでした。 遠くに霞む廃墟に、目の前を流れる川を描いたもので、哀愁という単語がぴったり。 まあ、本当のところ、私の好みが『やさしい色の光』&『止まる(あるいは緩やかな流れの)水』を綺麗に書いてある絵が好き!というだけなんですが。 ああいう、透明感があって、夕日が沈んでいく様子が見えるような絵がすきだなぁ… あと、ラトゥールの静物画も一点きていましたが、彼の作品の特徴である騙し絵のような立体感は、ホンモノでないと体感できないです。 このまえのラトゥール展を見逃していたので、見ることが出来てよかった。 最後に。贅沢な話ですが、東京都美術館は建物自体に気を使った方がいいような気がします。 天井が高い部分が一箇所しかないのは致命的…(しかも、今回そのスポットの使い方がことさら微妙でした) また、途中に階段を上り下りすると、そこらへんのビルの階段を使っているような気分になってしまって、正直興ざめ… 名画がある場所から去るときは、趣のある階段を使いたいですよ。 建物までも美術品!という場所の宝を持ち込むには、少々寂しいものがありました。(エルミタージュ美術館までとはいいませんが、せめて、旧遺愛女学校本館くらいの美しさが欲しいです) 次の企画はオルセー美術館らしいし、豪華な展示が多いのだから、夢を見せて!と思うのは…だめでしょうか…。 というわけで、多少、微妙に、地味に、六本木に新しく建てられた『国立新美術館』に期待していたりします。 ベルギー王立美術館展
2006.11.16 Thursday
昨日は上野に行ったついでに、『ベルギー王立美術館展』にも足を延ばしました。
上野の森美術館と国立西洋美術館は広すぎず、私には丁度いい大きさなので、梯子するにはいい場所です。コレが科学博物館だったり東京国立博物館だったりすると、体力的に不可能になりますからね。 さて、強烈個性のダリ作品を連続で見た直後だと、ことさら癒しを感じました。 オラニエ公ウィレム贔屓な私には、ベルギーはちょびっとばかり敵認識なんですが、この際は無視します。素晴らしいコレクション。フランドル派の作品からマグリットの近代絵画まで、幅は広いし選りすぐりの作品ばかり。 特に近代油彩は美しい作品が揃っていました。 人も少なく、絵も大きいサイズなので、絵に張り付いて筆の流れを熱心に眺めてもよし。部屋の真ん中にある椅子に座って、他のお客さんまで含めて全体を鑑賞するのもよし。 ぼーっと見るだけだったり、違う作家の作品を見比べながら時代のニーズの変遷をみたりして、まさに気ままな鑑賞ができますよ。 もちろん、明確な主題に沿って催される展覧会も面白いですが、真面目に絵画鑑賞に取り組んでいる人間ではない私には、こういう自由なスタイルが一番幸せを感じます。 お土産の色違いのチケットホルダー。シンプルで可愛らしいデザインで気に入りました。 記念の絵葉書を選んでいる間に、東北訛りの中学生が大量に押し寄せてきたので、まさに危機一髪でしたわ。 ダリ回顧展
2006.11.15 Wednesday
母親が珍しく「ダリ」「ダリ」と騒ぐので、母子で『ダリ回顧展』に行くことになりました。
混んでいることは事前に知っていたので、平日早朝を狙いましたが、それでもすいてはいなかったです。ダリ、人気なんだなぁ… 美術館につく前、ふと(母はいつのまにダリに興味持ったんだろう?)と思って尋ねた訳ですが、「CMをみて面白そうだったから」との返答。 あんなCMでも効果あるんだね…と思った次第。 そんなわけで、実物をみた途端母は「変な絵!」「何でこんな絵描くわけ?」と、なぜか私に詰め寄ってきたので、ちょっと悲しくなりました。 しりませんよ!ダリに聞いてくれ!と。 まあ「変な絵!」といわれることに、ダリは快感を感じていそうだから、ママンの感性でいいんじゃないかな?と思います。 ちなみに、展覧会で上演されていた『アンダルシアの犬』は、ビデオを所有してます。ヤフオクで1000円程度で落札しました。 大分前のでぇとの時、JiffyさんとKamelliaさんとまどぅの3人に貸そうとして持っていったのに、だれも借りてくれなかったという悲しいエピソードを持つビデオです!! ダリ展に行って、もう一度見てみたいという人、ダリ展に行く予定はなくても見たい人はどうぞ、我が家においでください。 ところで、美術館でのマナーを教えてくれる場所は、どこかにありませんかね? 私は何かに集中してしまうと、他人のことに目が入らなくなってしまう性質が強いので、美術館に入ると『迷惑な人』と化してしまう自覚があります。 混んでいると大勢の人にぶつかってしまい、私から頭を下げるのは当然なんですが、私が悪いのに反対に謝られたりして、申し訳ない気持ちになってしまいました。 また今回のようにマジカル・アイのような方法で2枚の絵を見るコーナーなんぞがあった場合、ベストスポットで長々と作品を鑑賞してしまったりして、あんまりお行儀がいい人間じゃないなかったわと今になって恥ずかしく思ったり。 反省なら幾らでも出来るんですが、現場だとどうしても「作品が見たい!」という欲望に負けてしまうので、どこまでやっていい行動なのか、NGはなにか、基準を教えて貰いたいと思っています。 |